森信三・魂の言葉

2021年9月29日 (水)

◎森信三先生一日一語

◎森信三先生の一日一語


今日の言葉、、心に沁みます。

一日一日を、出来るだけ、充実して生きることだあ。

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2007年9月25日 (火)

●森信三・魂の言葉(9月25日)

「清沢満之信仰座談」

わたくしは20歳代で次の2冊の書に眼を開かれたのです。その1は三浦修吾先生の『学校教師論』、その2は「安藤洲一編の『清沢満之信仰座談』でした。

清沢満之の「人間生きてる限り、仏か仏飯を給せられる。但しそれは金殿玉楼においてか、茶屋においてか、はたまた獄裡においてかの差あるのみ」の一語は、いまなお味わい深い」一語です。

2007年7月17日 (火)

森信三魂の言葉(7月17日)

「真理は感動を通して」

毎年新学年の講義の始めに、発することは、「真理は感動を通してのみ授受せられる」という一語です。

そもそも「教育」作用と呼ばれるものは、(1)まず教師自身の深い感動と、(2)それが相手の胸に訴えて感動の波動を巻き起こすだけの力のあること、さらにそれによって、(3)相手がその人なりにその生きた真理の実践に着手すること-----という以上三段階の心的作用が予想せられるわけです。

2007年7月15日 (日)

●森信三魂の言葉(7月15日)

「人間の甘さ」

人間は苦労することによって、この世の中の厳しさがわかります。それはいいかえますと、人間の甘さが除かれると言うことでもあります。

人間の甘さ」とは、一体どういうことかといえば
 (一)自分自身を実際以上に買いかぶること。
 (二)他の人の真価が正しく評価できないこと。
その甘さを徹底的に除いてくれるのが逆境の試練というものです。

2007年7月 4日 (水)

●森信三魂の言葉(7月4日)

「日常の心構え」

諸君は階段を上がるとき、まるで廊下でも歩くように、さらさらと上がる工夫をしてごらんなさい。というのも、人間の生命力の強さは、ある意味ではそうしたことによっても、養われるといえるからです。

つまり階段の途中まできても、平地で歩くと同じような調子で上がるのと同じように、人生の逆境も、さりげなく越えていくようにありたいものです。しかしそのためには、非常な精神力を必要とするわけです。

2007年7月 2日 (月)

■森信三魂の言葉(7月2日)

「精神的鍛錬」

ところで人間は、「暑い」「寒い」といわなくなったら、それを貫いていったとしたら、やがて順逆を越える境地に至るといってよいでしょう。順逆というのは、ていねいにいえば、「順境・逆境」ということです。

総じて精神的な鍛錬というものは、肉体的なものを足場にしてでないと、本当にのりにくいものです。たとえば精神的な忍耐力は、肉体上の忍耐力を足場として、初めて身につくものです。

2007年7月 1日 (日)

森信三魂の言葉(7月1日)

「終生の師」

何ゆえ人は、師を求め師に就かねばならぬのでしょうか?それは「真理というものは、単なる書物だけでは伝わらぬ」ということからくるのです。

それというのも、まことの真理というものは、単に平面的な知的観念的なものではなくて、生きた人格の中に脈打ち、活溌溌地に生きてはたらいている動的具体的な叡智だからです。その点、単なる書物学問と、師という生きた一人格に就くのとでは、まさに天地のひらきがあるといってもよいでしょう。

2007年6月30日 (土)

森信三魂の言葉(6月30日)

「日本人的哲学」

「全一学」というのは、わかりやすく申せば、日本人としての自覚に立った場合の「哲学」のことで、従って「全一学」という特殊な学問はなく、いわんや私が今度の『続全集』に収める「全一学的教育学」など「全一的」と名づけたもののみでないのはもちろん、「創造の形而上学」にせよ『情念の形而上学』にせよ、私の書いたようなものでなければ、「全一学」でない--------などと考えられるとしたら、これほど大きな誤解はないわけです。

2007年6月29日 (金)

森信三魂の言葉(6月29日)

「若き俊秀」

ヤングと称される人々の中には、明治以後、ちょっと見いだされないほどの新しいタイプの卓れた俊秀がボツボツ出現しつつあるんじゃあないかということです。

そしてそれらの若き俊秀の中には、われらの民族の歴史でかつて「武士道」という形態で出現したような、自らの目標に向かって全自己を賭けて投入しつつある凛然たる気迫をもった若者たちが、チラホラとあちこちに出現しつつあるんじゃあないかという感がしだしたのです。

2007年6月28日 (木)

森信三魂の言葉(6月28日)

「劣等感をふみすえて」

若い人たちは、その青年期の一時期に、多少の劣等感を抱くくらいのほうが、かえってたのもしいと思うほどです。

けれども、もちろんそれは、やがて発奮して志を立て、そのような劣等感を脚下にふみすえて、雄々しく起ちあがることを予想してのことであることは、申すまでもありません。わたくしはむしろ人生の一時期に、劣等感におそわれないような人間は、たいしたものになれないと考えるのです。

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